トッカグンとの遭遇。

僕は陸も海も空も辞めたダメ元自衛官

2019-01-01から1年間の記事一覧

いじめの3原則

教育隊の生活にある程度なれてきた頃、その影は、徐々に表面化してきた。 「いじめ」だ。 海上自衛隊の教育隊で「探知の3原則」と言うものがあったと思う。 その3原則の内容とは、じっくりと、繰り返して、後1つは忘れてしまった。 その探知の3原則を、そっ…

調子に乗った精密分解。

銃は、もちろん海上自衛隊でも使用する。 当時海自の教育隊で使われていた銃は、陸自の教育隊で使用していた64式小銃だった。 教官は、全員に対して1から分解と結合を教えてくれたのだが… なんと時間制限なし、談話しながらの至ってゆるい時間の使い方だった…

スイーツの名店 主役はパフェ。

僕たちのいた海上自衛隊の呉教育隊から近い遊び場、息抜き場と言えば、レンガ通り、ゆめタウンくらいだった。 休みの日は、少しでも長く外にいたいと言う気持ちもあり、早朝から外出することが多かった。 しかし、ほとんどお店は閉まっている状態で、まずは…

朝起きて3分後に飛び蹴りをくらう。

起床ラッパの音色と同時に同期達が一斉に起き上がる。 すぐに着替えて寮の前に立ち並んで行く。 全員がそろったら、代表者が当直の上官に報告する。 もちろん、報告の段階で全員きれいに整列した状態でだ。 ちなみに報告には報告の仕方がある。 確か… 「⚪⚪分…

 新入隊員のまとめ役は伍長に甲板。

新入隊員は、10人程度の班に分かれる。 その班ごとに「伍長」「甲板」と言う名のまとめ役係のようなものが選ばれ任命される。 僕は甲板に選ばれた。 甲板の良い所は、起床ラッパが鳴る前に起床し、誰よりも先に朝食を食べることができるのだ。 その上、起床…

プールで泳げない者=「赤帽」

海上自衛隊の僕の同期の新入隊員は大半が泳げなかった。 50メートルプールを泳ぎきる前に沈んでしまったり、コースロープにつかまってギブアップした者が、半数以上いたのだ。 水泳教官は怒った! 「お前ら、なんでよりにもよって、こんなに泳げないのに海上…

泳げない人だらけのプール。

海上自衛隊の教育隊では水泳訓練がある。 まず最初に新入隊員がどの程度泳げるのか?と言う計測の様なことが実施される。 海上自衛隊と言われる位だから、そもそも泳げる者だらけ…と言うのは、大きな誤解だった。 当時の僕の目の前で、とある水泳教官と新入…

究極のベットメイキング?

教育隊と言っても、陸上自衛隊と海上自衛隊とではベットメイキングのやり方も違うことを知った。 陸上自衛隊の教育隊では、起床後、全てのシーツや毛布を折りたたむのが普通である。 これに対して、海上自衛隊の教育隊では、シーツを、1枚だけ常にベットメイ…

広島の呉教育隊。

海上自衛隊の入隊試験に合格した。 長野県諏訪市から広島県呉市に転居することになり、僕は職場の仲良くしてくれていた方々に理由を説明し、別れを告げた。 結局、長野県には数ヵ月しかいなかった。 海上自衛隊には10月位の入隊であり、これからどんどんと寒…

酒気帯び面接。

それは、僕が海上自衛隊の面接を受ける前夜のことだった。 同じ派遣先の工場の女の子2人が、僕を含めた3人で宅飲みをしようと急に誘ってくれたのだ。 翌日が試験であるにもかかわらず、僕は宅飲みに参加してしまった。 女の子の部屋で飲むことになり、面子は…

目指せ!海上自衛隊!

自衛隊の地方連絡部に申し込みをして、早い段階で入隊するには、どうしたら良いかと相談してみた。 一般的に知られている4月入隊の他に、中途半端なシーズンにも状況により求人募集をしていることがわかった。 当時の求人内容は、海上自衛隊で通称「練習員」…

日総工産株式会社。

僕が派遣登録していた会社は、日総(にっそー)と呼ばれていた。 派遣先の現場には、日総以外の方もいたのかも知れないが、詳しくは覚えていない。 ただ、同じ現場で同じようなことを1日同じようにやりきったとしても、時給は派遣会社によってまばらなところが…

ライン作業員になった僕は。

派遣の案内人の方が、エプソンの工場以外を希望した僕に、新しい派遣先を紹介してくれた。 「この工場が勤まらないなら、ウチの派遣ではやっていけないよ。」 そこまで言われた工場を見学させてもらい、とりあえず、その工場で働くことにした。 寮は、なかな…

長野県は諏訪市で人材派遣?

長野県諏訪市に行き、人材派遣の案内をしてくれる方と合流した。 まずはエプソンのドデカい工場を紹介された。 寮は工場の近くにあり、周囲には買い物ができる場所がない辺境の地だった。 一番近いコンビニには、山を降りないと行けないと言われたことを覚え…

迷走からの決断。

自衛隊を辞めた後、実家には帰りたくないと思った僕は、学生時代からの友人宅に泊めてもらうことにした。 場所は高知県。 金銭的にもお金がなかった僕は、求職活動を急いだ。 ずっと友人宅に住む訳にもいかず、住居も同時に探していた。 そんな中、工場の派…

住所不定・無職…確定。

「自衛隊を退職した後は、俺の実家にしばらく泊まれば良いよ。」 同じタイミングで自衛隊を退職した同期のその言葉に甘えることにした。 僕らは駐屯地を出た後、電車に乗った。 とある駅で降りたった瞬間だった。 一緒にいた彼は、いきなり駅のホームでタバ…

区隊長による見送り。

退職手続きが終わり、駐屯地から出るところまで区隊長が案内をしてくれた。 区隊長は本当に良くできた人だった。 退職の話しを切り出し、方向として退職が確定した時は 「退職が決まったからには、お前たちがスムーズに退職できるように俺も全力で支援するか…

退職届マニュアルの存在。

とうとう陸上自衛隊を辞める日が来た。 退職届の様なものを書くのだが… 見たこともない上官が僕の退職のための事務手続きをしていた。 今思えば、事務方の職種の自衛官だったのかも知れない。 その初めて出会った上官に退職届の書き方をひとつひとつ教えても…

1人の辞める同期と僕。

僕は、僕以外の辞める同期と一緒に行動することになった。 辞める同期が1人でもいると、なんだかその同期と一緒にいる時間は、居心地として悪くないものだった。 彼は昔、バックパッカーとして色々なところに行くのが趣味だったらしい。 そのためか、非常呼…

辞める者は、ぼくだけではなかった。

やっとのことで退職手続きに動き出したかと思えば、1日の内の大半は同期とは別行動となった。 その間、なにをやらされるかと言えば、徹底した身辺整理、貸与品の手入れと言うものだった。 衣類の手入れ、名札の除去はもちろんのこと、靴だってかなりの時間を…

「やめんなや」

辞めると決めても、正式な許可が降りるまで通常通り訓練を受けなければならなかった。 ちなみに教育期間中の平日の夜、僕たちの区隊は1時間程度、教室にかんづめされ自習させられていた。 そんなある夜、いつものようにみんなで自習をしていると、1枚の紙が…

すぐにバレた。

教育隊の同期に僕が自衛隊を辞めようと区隊長に相談をもちかけたことがバレた。 班長に相談しないで、班長を飛ばして区隊長にまず相談してしまったこともあり、なんだか以前にも増して班長との距離感を感じるようになった。 辞めるにも、いわゆる「ひきとめ…

自衛隊は、辞めるにも日数がかかる。

区隊長に辞める意思を伝えてから、ほどなくして2人で話し合いをした。 ちなみに、班長には辞める相談や意思を伝えてなかったのだ。 今だからこそ言えるが班長よりも区隊長の方が個人的には相談しやすかったのだ。 なにを区隊長から言われても僕の気持ちは変…

辞めたいです。

教育期間中のある日。 場所は隊舎の屋上だった。僕らは、「目視で距離感覚をつかむ訓練」をしていた。 屋上から見渡し、区隊長が見える建物を指差し、距離にしてどのくらいあるのか? と言うことをあれこれ教えてくれる内容だった。 屋上から下がる時、区隊…

足をケガした同期。しかし、その扱いは。。

訓練中にケガをすることはある。 ケガをしないようある程度のことは、班長達も気をつかってくれていたのだと思う。 しかし、それにしては良く殴られ、蹴られしたものである。 そんな教育隊の訓練中に、同期で同じ班の仲間が足をケガした。 教育隊中に、ある…

1つの小便器を2人でわかち合う友情。

連帯感。それは教育隊にいると常々感じることである。 しかし、同じ時間に起きて、同じ飯を食って、同じ訓練を受け、同じ時間に寝ていると… やはり、同じ時間にウンコをしたくなる。 大便器が埋まるのは仕方ない。早い者勝ちだから、みんな必死だ。 しかし、…

シコりんぴっくと、オリンピック。

自衛隊の教育隊で週末を迎えると言うことは、シコりんぴっくが、おおいに開催されることになる。 オリンピックではなく、シコりんぴっくだ。 当時は、班員みんなでテレビ台に何冊もエロ本を集めていた。 週末になると、みんな隠さず、堂々とエロ本を持って、…

本気を出すからな。

楽しかったGWも終われば、まずは、新入隊員が駐屯地に戻って来るか? そこを班長、区隊長らは心配するのである。 僕らの区隊は全員きっちりと帰って来た。 そこで区隊長は、「よく帰ってきたな!」 とほめて?くれたものの。 「これまでは、お遊びだ!」 「…

引き出しが落ちてた?

自衛隊名物の一つ、それは台風である。 身辺周りの整理整頓がしっかりなされていない場合、新入隊員が屋外で訓練している最中に、手の空いている班長達が、新入隊員のロッカーや、ベッドを荒らしに来るのだ。 台風には大きいのから、小さいのまでサイズは様…

ヤバいのが前から来たぞ。

あれは三佐以上の連中だったのではないか?と、今となっては思うが、いかんせん記憶があいまいだ。 あの日は、駐屯地内で式典かなにかがあったのか、道を隊列を組んで歩いている僕らの前に、その連中は向かって来ていた。 10人いない位の列。 しかし、あきら…